10年ぶりにサンディエゴを訪ねてきた。海軍の頃、4年間もその町で暮らしていた当時の沢山の様々な思い出が未だに記憶に新しい。しかしながらその思い出は必ずしも快い想い出ばかりではない。20代前半の水兵でお金も部屋もなく、古くて汚い誘導ミサイル装備巡洋艦で生活しており、その内部に深く埋められている寝台を30人の水兵と共用していた。

船上生活は過酷だった。4日毎に一度、一日中船から出て当直しなければならなかったし、仕事の制服もひどかった。

無教育の田舎者や労働者階級のヤツばかりに囲まれていたのでもちろんくつろいだ気持ちだったけれど、まるで囚人のような生活だった。 その他にも困難辛苦はあったが、その体験をもう二度と経験したいと思っていない。

兵役期間が終わったと同時に持ち物すべて車に詰め込んで、サンディエゴに別れを告げた。それは1991だった。

正直なところ、10年ぶりだというのにサンディエゴは全然恋しくなかった。南カリフォルニアにうんざりした僕にとっては、一生戻らなくても涙を流さない場所だし、そうだとすれば、なぜ戻ることになったのだろう。

たまたま兄が去年、ミシガン州からカリフォルニアに戻って、現在サンディエゴに住んでいるのだ。 一軒家も双胴船(カタマラン・ヨット)も買って、サンディエゴでの新生活にすんなりと落ち着いたようだ。

そんな兄が先週40歳になった。 2ヶ月前に彼の彼女から連絡があって、「サプライズ・パーティをやるけど、来てくれないか」と誘われた。 日本に住んでいるからあまり会う機会がないのでいいチャンスだと思った。

サンディエゴが随分変わったとは言えないけど、今回の印象はとても良かった。やはり天気は毎日晴れていたし、街の人々は親切で、ビーチは近い。それにカルチャーが著しく発展してきた現在のサンディエゴがなかなか気に入った。

兄が住んでいる付近は、今現在スラム街から高級住宅化している途中であるため多様性が高いし、面白い店などがいっぱいある。ラテン系の人々がその地域の人口の大多数を占めていて、スーパーに入ると棚に並んでいる商品の殆どが南の方から輸入されていて、どんなに考えても中身がなんだか想像もつかない。英語よりもスペイン語の方が多く聞こえてくる。どの国にいるのか解らなくなりやすい場面で、アメリカらしくない穏やかさが爽快な気分を与えている。多彩な人間に多彩な言葉、そして多彩な家々の正面がその辺りの特性を示している。

短い滞在だったが、この旅で存分に遊んだり楽しんだりできた。青空の下で帆走し、パーティを開き、ロスに遊びに行くこともあった。もちろん美味しいレストランに毎日食事に行った。最後の夜は兄とその彼女に近くの The Turf Club に連れて行ってもらった。レストランでも、バーでもないところだ。非常にシンプルなメニューが左側に多種なステーキ、右側にカクテルを紹介していた。それを見てふと迷った僕は、「フィレがうまいぞ」とニッコリとしている兄に従うことにした。

店内は60年代のラウンジの雰囲気と内装だが、部屋の真中に大きなグリルがぽつんと置いてある。そして皆がそれを囲み、自分のケバブやステーキを楽しそうに焼いているのだ。年配の常連が木製のバーカウンターに並んで、覆い被さるように前かがみながらウイスキーを飲んでいるイメージを連想させるこのラウンジが、BBQやお喋りしている若者でいっぱいになっているのが変に可笑しかった。マンハッタンをちびちび飲みつつ、レアのフィレを噛みながらその若者の笑顔を見ているのがどういうわけか楽しかった。

実際にはほとんど変わっていないだろうけれど、嫌いだったサンディエゴがこの10年ですっかり良くなったなと、そのとき思った。